・かつて「辺鄙なこの地に区画整然と展開する広大な美田のあるに驚」かれたという高坂の耕地整理を経た明治~大正期の棚田もまた、昭和49~63年に実施された県営ほ場整備事業によってほぼ全域が大規模で規格的な水田に生まれ変わりました。
この工事もまた当時県下ではほかに例の無い急傾斜地帯の大規模土地改良だったことから、まさに「現代の棚田」が現出したのでした。
・明治~大正期の耕地整理事業が行われた証しは、高坂の「上の谷池(やち)」と呼ばれるかつての前山溜め池の姿と、曹源院前の記念碑を残すのみですが、いつの時代もより良い農業、よりよい暮らしを目指し、持てる力を苦労をいとわず傾注した地域の先人がいたことを忘れたくないものです。
参考文献『高岡村のあゆみ』、『牟礼村誌』、『豊野町の歴史』、『長野県土地改良史』
文責 小山丈夫(飯綱町教育委員会 いいづな歴史ふれあい館学芸員)
耕地整理記念碑のある「曹源院」です。
この碑が耕地整理記念碑です。
「大正十二年十二月二十五日」と刻まれており、耕地整理の記念碑としては、とても古いものだと思います。
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