是より木曽路 遥か彼方の京や江戸を思い、人々が往来した木曽路。 歴史と文化に彩られ、自然豊かな木曽地域の魅力を、当地勤務の県職員が四季折々に発信していきます。 あなたも、木曽に寄っていきませんか?

是より木曽路

遥か彼方の京や江戸を思い、人々が往来した木曽路。 歴史と文化に彩られ、自然豊かな木曽地域の魅力を、当地勤務の県職員が四季折々に発信していきます。 あなたも、木曽に寄っていきませんか?

義仲・巴ゆかりの地 旗挙八幡宮

全国連携大会の行われた場所は、平成17年木曽町に合併するまでは「日義村」でした。
日義村は、明治7年に宮ノ越村と原野村が合併した村でしたが、新村名を「朝日将軍」にちなんで朝日村にしようという案もありました。
そこで、「朝日」と「義仲」から2字をとって「日義村」にしたのだそうです。

木曽町日義はそれだけ縁が深い場所。義仲・巴にまつわる地が多く残されています。

1154年、武蔵国(現:埼玉県嵐山町)で生まれた義仲は、源氏の内乱で父を失い、豪族中原兼遠を頼って木曽で幼少期を過ごしました。

宮ノ越駅から0.9㎞、国道19号沿いにある「旗挙八幡宮」。その由来が記された看板には、次のように書かれています。

「幼名を駒王丸と名付けられ、養父中原兼遠によって育てられた。義仲公は、このあたりの平地に城を構え、八幡宮を祭ったと伝えられている。十三歳にして元服。木曽次郎源義仲と改め、治承四年(1180年)1千余騎を従え、ここに平家打倒の旗挙をした。時に義仲27歳であった。以後旗挙八幡宮と呼ばれている。
社殿傍らの大欅は樹齢約八百年と伝えられ、公の時代より生き続け、落雷により傷ついたその姿は、悲劇の武将を語ってくれるかのようである。    日義村観光協会」

鳥居を背にして奥へ進むと、視界が開けていて「信州サンセットポイント百選」の碑があります。

義仲は、この地にあった館から京の方角に沈む夕日を見ながら、平家追討を誓ったのでしょう。

(関連記事)
 木曽義仲・巴御前全国連携大会(その1) 上の段、木曽衆練り歩き
 木曽義仲・巴御前全国連携大会(その2) 大会セレモニー
 木曽義仲・巴御前全国連携大会(その3) パネルディスカッション、大会宣言、参加団体

1 2

このブログのトップへ