い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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夏を涼むように 【井月さんのこころ71】

 若い頃の友達は幾つになってもよいものだ。無条件に友だ。大人になってからはそうはいかない。分別が発達しすぎるのか。

  (暑さ・夏) 

 さて、信州山の日の27日(日)高校野球の決勝戦が行われ、佐久長聖高校が甲子園出場を決めましたが、前日の準決勝で佐久長聖高校に1-2で惜敗した上伊那農業高校の健闘も実に見事でありました。

 堅い守りで5試合連続無失策の大会新記録を残し、昭和22年創部以来初のベスト4入りで「上農(ジョーノー)旋風」を巻き起こしたナインに称賛の拍手を贈ります。

 そして降雨中断50分の長野商業高校との決勝戦を10-9で辛くも逆転勝ちし、2年ぶり6度目の夏の甲子園出場を決めた佐久長聖高校の健闘にも期待したいと思います。

 風が通る涼しい日陰でビール片手に高校野球を観戦するのは、真夏の大きな楽しみのひとつです。ビールには枝豆と冷奴が合いますね。

 ところで、お豆腐には、木綿豆腐と絹豆腐がありますが、やはり冷奴には絹豆腐のほうがいいですよね。

 では、その違いをご存知ですか?

 豆腐を木綿でこしたのが木綿豆腐、絹でこしたのが絹豆腐と思っていませんか?

 実は違うのだそうです。

 木綿豆腐は、木綿の布を敷いた箱に「にがり」を混ぜた豆乳を入れ、上に重しを置きます。このために、木綿の跡が残るので、木綿豆腐といいます。一方、絹豆腐は、豆乳を箱に入れ、「にがり」を加えて、そのまま自然に固めて作ったものです。自然に固まり、滑らかできめ細かいので、絹ごし豆腐とも呼ばれるのだそうです。

 どちらが栄養豊富かというと、重しで余分な水分を押し出している分だけ、カロリーもたんぱく質も、木綿豆腐のほうが豊富なのだそうです。 

  よき水に豆腐切り込む暑さかな  井月

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 さて、そんな涼を取りながら、井月さんは、詠みます。 

  渊明も李白も来たり涼み台  井月

  この句についても、竹入弘元先生の評釈を引用させていただくと……、

 陶渊明(三六五~四二七)は、中国六朝時代の詩人。四十一歳で「帰去来辞」を賦して故郷の田園に隠棲。酒仙といわれた李白(七〇一~七六二)は、杜甫(七一二~七七〇)と並称された中国盛唐時代の大詩人。

 そんな過去の人物が涼み台に来たのは、勿論現実ではない。井月は空想の中で交流している。彼はこうして多くの詩友を持つことができた。

  (涼み・夏)

 陶渊明「歸去來辞」

 「帰去来辞(ききょらいのじ)」は四段からなります。第一段は、官を辞して故郷に帰る決意を述べ、はやる心で帰路に赴く様が描かれています。第二段、第三段は、略します。 第四段は、自然の恵みに対比して人の命のはかなさを述べています。 

 

歸去來兮     帰去来兮(かへりなん いざ)

田園將蕪胡不歸  田園将に蕪(あ)れなんとす胡(なん)ぞ帰らざる

既自以心爲形役  既に自ら心を以って形の役と為す

奚惆悵而獨悲   奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)して独り悲しむ

悟已往之不諫   已往の諌(いさ)めざるを悟り

知來者之可追   来る者の追ふ可きを知る

實迷途其未遠   実に途に迷ふこと其れ未だ遠からず

覺今是而昨非   今は是にして昨は非なるを覚(さと)る

舟遙遙以輕    舟は遙遙として以って軽し

風飄飄而吹衣   風は飄飄として衣を吹く

問征夫以前路   征夫に問ふに前路を以ってし

恨晨光之熹微   晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む

 

已矣乎      已矣乎(やんぬるかな)

寓形宇内復幾時  形を宇内(うだい)に寓すること復(ま)た幾時ぞ

曷不委心任去留  曷(なん)ぞ心を委ねて去留に任せざる

胡爲遑遑欲何之  胡為(なんす)れぞ遑遑として何にか之かんと欲す

富貴非吾願    富貴は吾が願ひに非ず

帝鄕不可期    帝郷は期す可からず

懷良辰以孤往   良辰を懐(おも)ひて以って孤(ひと)り往き

或植杖而耘子   或いは杖を植(た)てて耘子(うんし)す

登東皋以舒嘯   東阜に登り以って舒(おもむろ)に嘯(うそぶ)き

臨淸流而賦詩   清流に臨みて詩を賦す

聊乘化以歸盡   聊(いささ)か化に乗じて以って尽くるに帰し

樂夫天命復奚疑  夫の天命を楽しめば復た奚(なに)をか疑はん

 

 若くして公職を退き「天命を楽しんで何も疑うものはない」と言い切る陶淵明の人生観が表わされた名文です。

  陶淵明のようにはならずとも、高野先輩のように土に親しみながら晴耕雨読の生活を送りたいものと憧れています。

  渊明も往くみち説くや蝸牛  青巒

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