じょうしょう気流 「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

じょうしょう気流

「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

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かずちゃんからの質問2~上田市の水道のこと~上田市諏訪形は、なぜ県水ではないの?上田水道管理事務所

それによりますと

p158

大正8年(1919年)5月1日、小県郡上田町は長野県上田市と改められ、長野・松本に次ぐ県下で三番目の市となりました。長野と松本が明治期に市になっていましたので、「上田市」実現は、長い間の悲願でした。市制をしくには人口3万人以上を有することが条件でした

上田市が発足して、今年で99年なんですね~。来年でなんと100年!

そして次のページに興味深い記述があります。

上水道が落成

市制が施行されたことにより上水道建設工事に対する「国、県の多大なる補助関係が有意義に展開」し、長年の懸案だった上水道が大正12年(1923年)7月に落成しました。千曲川から水を取り神科の染屋台のろ過池へ送水し、さらに配水池に送って自然流下により市内に配水するというもので、建設費は総額85万円、人口が6万人に達しても給水可能な設備でした。」

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大正12年にできた染屋台の浄水場の写真です(市水)。今から95年前の写真ですよ。興味深いですね。

へえ・・上田市になったことで水道の敷設が進んだようです。上田市水、染屋の浄水場は、大正12年、今から95年も前にできたということで、素晴らしく長い歴史があるんですね

ちなみに当所、長野県企業局の上田水道管理事務所が設置されたのが昭和39年(1964年)4月~です。

さらに「総説 上田の歴史」を読み進めますと

 

 

P202

上水道の完備

台所の改善とともに上水道問題があがってきました。(この項の前に昭和40年ごろ~かまど・いろりがなくなりダイニングキッチンが普及してきたという記述があり、それを受けての記載です)上田旧市部は大正12年に上水道が布設されましたが、旧町村では戦後の合併までは簡易上水道を使っていました。しかし、これらの簡易上水道の共通の問題は水源不足でした。合併に伴って順次、上田市の上水道に接続していきました。

上田市の浄水場は染屋地籍に置かれましたが、標高差から神科・神川地域は給水ができませんでした。昭和43年神川上流に菅平ダムが完成、ここからの取水で真田町石舟に浄水場を造り、はじめて神科・神川地域への給水ができるようになりました。

一方、39年からは県営上水道が小牧に設置され、塩田・川西地区の一部に給水することで、全地域に上水道が完備しました。」

ここに県営水道の記述が出てきました!なぜか諏訪形に設置でなく小牧となっていますが、取水口は小牧ですからこのような記載になっていると推測されます。

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さて、以上のことと上田市の行政区域の変遷を確認してみましょう。

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