南信州お散歩日和 南信州は、広い長野県の南端に位置しています。やわらかい方言が使われ、人も土地柄も温かく穏やかな当地域には、 各所に温泉があり、賑やかなお祭りもたくさんあります。 この地域ならではの魅力を職員がお伝えしていきますので、 南信州にどうぞおいでなんしょ!

南信州お散歩日和

南信州は、広い長野県の南端に位置しています。やわらかい方言が使われ、人も土地柄も温かく穏やかな当地域には、 各所に温泉があり、賑やかなお祭りもたくさんあります。 この地域ならではの魅力を職員がお伝えしていきますので、 南信州にどうぞおいでなんしょ!

飯田城下を往く ①の2 寺の街(後篇)

 「寺の街」後篇です。

 飯田の街は段丘の上にあります。地域の人は「丘の上」と呼んでいます。
 この丘の上を西から東へ南北に二つに分かつように「谷川」が流れています。
 谷川は現在ではほとんど地下を流れておりその全貌を窺うことはできませんが、堀端から伝馬町へ続く飯田の街を南北に繋げる道には、谷川部分に「谷川橋」が架かっています。
 その形状からかつて「めがね橋」と呼ばれたこの橋を境として、北側を「橋北」南側を「橋南」と言います。
    

       【谷川橋】         【谷川(谷川橋より望む)】
 
 前篇では橋北地区のお寺を見てきましたが、後篇では橋南地区のお寺を紹介します。

   【本覚時 真宗大谷派・永禄3(1560)年開山 現在は上飯田に移転】

    【正念寺 真宗本願寺派・慶長元(1596)年開山 奥は保育園】

        【真光寺 真宗大谷派・寛永16(1639)年開山】

  【峯高寺 浄土宗・慶長元(1596)開山 うちの旦那寺・・・また余談】

         【長源寺 日蓮宗・康永元(1342)年開山】

         【柏心寺 浄土宗・元亀2(1571)年開山】

         【長昌寺 臨済宗・顔輝2(1571)年開山】

 こうして18のお寺を見てきましたが、特徴的な点について考察してみましょう。
1 宗派別寺院数
  (※全国平均は「宗派別全国寺院リンク」(So-net)による)
 ・真言宗  1( 5.6% 全国平均23.3%)普門院
 ・曹洞宗  3(16.7% 全国平均14.8%)黄梅院、正(昌)永寺、専照寺
 ・臨済宗  4(22.2.% 全国平均7.2%)大雄寺、長久寺、龍翔寺、長昌寺
 ・浄土宗  5(27.7% 全国平均10.2%)
                西教寺、来迎寺、永昌院、峯高寺、柏心寺
 ・浄土真宗 4(22.2% 全国平均21.5%)善勝寺、本覚寺、正念寺、真光寺
 ・日蓮宗  1( 5.6% 全国平均8.6%)長源寺
 臨済宗、浄土宗の多さが目を引きます。
 殊に臨済宗・曹洞宗を合わせた禅宗のお寺は全体の4割近くを占めます。武家の街の特徴と言っていいだろうと思います。
 浄土宗が多いのは、何故かなぁ?
 徳川宗家の菩提寺増上寺が浄土宗である影響、というのも開山時期が合わないし・・・とりあえずこれも武家の街の特徴ということにしておきます。鎌倉だって結構浄土宗多いですしね!

2 開山時期
 ・16世紀前半以前 6 大雄寺、長久寺、西教寺、善勝寺、来迎寺、長源寺
 ・16世紀後半   8 黄梅院、正(昌)永寺、専照寺、正念寺、本覚寺、峯
            高寺、柏心寺、長昌寺
 ・17世紀前半   3 龍翔寺、永昌院、真光寺
 ・不  明     1 普門院
 なんと8寺院が16世紀後半に、17世紀前半まで含めますと実に11の寺院がこの時期に飯田の街に開山しています。
 前篇でも触れましたが、寺は飯田の街を囲うように外側に土塁まで築かれて配置されています。

     正(昌)永寺裏手の土塁          柏心寺裏手の土塁

 飯田の街は昭和22(1947)年に大火により街の大半を焼失しました。
 しかし、それぞれの寺は従前の場所に再建され、道路もしっかり拡幅はされましたが、小京都とも呼ばれる碁盤の目のような街の配置は変わっていません。
 飯田の街は、今でも450年前の都市計画の基に成り立っています。

<地域政策課>

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