信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

玄米珈琲×山里ビジネス vol.1

信級(のぶしな)は、長野市信州新町から西に、ひと山隔てた場所にある集落です。昭和30年に上水内郡信州新町になるまで、信級村だったこの地にはかつて1300人が暮らしていました。現在は約60世帯、120人ほど、過疎化と高齢化が進むいわゆる“限界集落”です。
のどかな風景が広がる信級で、農業と炭焼き、そして「信級玄米珈琲」を作る植野翔さん。植野さんが暮らす、築70年を越える古民家を訪ねました。

自然の中で暮らす人たちが、かっこよく見えた

- 植野さんはもともと東京の出身ですよね。なぜ長野へ?

大学では建築を専攻していて、地域づくりや街づくりについて学ぶ研究室にいたんです。そこで、長野市の信更(しんこう)町へ行く機会があって。そのつながりが、最初ですね。

- 地域づくりに興味があったんですか?

うーん、地域づくりにはそんなに興味がなくて(苦笑)。何か、田舎に関わることができるかもと思って、その研究室を選びました。

- 田舎に?

9.11、アメリカ同時多発テロ事件があったときに、この社会の中でこのまま生活していくことに疑問を感じ、自給自足の暮らしについて考えるようになったんです。もともと田舎に縁もなく、観光で行くことはあっても人が住んでいるところに足を運ぶことはなかったんですが…。

- 実際に、信更町に来て、どうでしたか?

それまで僕の周りにいる人は、会社に勤めている人ばかりでした。自分も就職活動をして、どこか企業に入るのが普通なのかなと思っていました。でも、信更町へ来たら、そういうのとは違う人たちがいて。知らなかっただけで、こういう暮らしもあるというか…自然の中で暮らすことのほうが、普通のことなのかもしれない。自分には向いているのかもしれないと思いました。

- 東京では出会わないような人たちと出会ったんですね。

学生という立場だったこともあって、いろいろな方と話す機会がありました。住んでいる人のたくましさというか、もう、とにかくかっこよく見えたんです。自分たちの暮らしをつくっている大工さんや左官屋さんなどは、それまで全く接点がなかったので、新鮮に映りました。

- それで、卒業後に移住を。

最初は、学生のころの知り合った移住者の方の家に居候しながら、千曲市の果樹園でアルバイトをしていました。

- 何かをしよう、と決めて来たわけではなく、まず移住しちゃったんですね。

農業をしようかな、という感じで来ましたね。そのときは、遊休農地がもったいないというのと、地域で採れる産物を使って生計を立てることで、人が増えて活性化につながるのではないかと思っていました。

- じゃあ、それから農業を。

果樹園でアルバイトしながら、信更町の近くの大岡温泉というところで出会った人と話をするうちに、一緒にやろうってことになって、温泉施設で働くことになりました。その人が温泉の経営と農業をやっていたので、浴槽の掃除をしたり、米作りを手伝ったり、温泉で知り合った有機農業に取り組んでいる人と一緒にやってみたり。

- そういう地域の温泉施設って、いろんな人がいそうです。

その後、大岡に引っ越して、機械などを借りて農業を始めました。農業をしていると冬の間は仕事がないので、信更町で炭焼きをやっている人の手伝いをするようになりました。そこで、信級で炭焼きをしている関口さんに出会ったんです。「うちのほうにも遊びに来てよ」って言われて、それで初めて信級に行きました。

植野さんが信級に移り住むきっかけとなった炭焼き職人の関口さん

- 信級に来て、どうでしたか?

いいところだなあ、と思いました。とはいえ、すぐに引っ越そうというわけではなかったんですけど。大岡で2年ほど暮らして、別の場所に移ろうと考えたときに、ふと信級が浮かびました。「ここからそんなに遠くないし、確か空き家があるって言っていたな」って。


植野さんが信級にやってきたのは、2010年1月。「借りた家が道からのアプローチが長くて(笑)。まずは必死に雪かきをして道を作りました」と振り返ります。こうして始まった信級での暮らしの中で、「信級玄米珈琲」が生まれます。

PROFILE
1983年、東京都生まれ。早稲田大学院建築学科修了後、2007年に長野市信更町へ。2010年に信級へ移住し稲作と炭焼き、炭焼きの余熱を利用した「信級玄米珈琲」の生産を始める。妻と息子3人の5人暮らし。

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