信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

山×気象予報士 vol.1

地元の山、北横岳山頂にて

国内初の山岳気象専門会社「ヤマテン」を立ち上げた猪熊隆之さんは、ウェブサイト「山の天気予報」の運営をはじめ、世界の山岳気象の配信、気象講習会の開催など多岐に渡る活動を行っています。
「山の天気は変わりやすい」と言いますが、それにまつわる天気の話を伺っているうちに、途中から猪熊さんの壮絶な人生に圧倒されることになりました。

大学の山岳部で過ごした時間が、山にのめり込むきっかけに

- 「山の天気予報」では、どのような予報を出しているんですか?

全国18山域、59山の天気予報を配信しています。翌日と翌々日分、6時間ごとに天気、気温、風向・風速を出しています。あと、気象遭難のリスクが高いときに発表する大荒れ情報や現在の山の天気を確認できるライブカメラ、各種予想天気図、発雷予想確率、ヤマレコの記録など色々な情報をご覧いただけます。また、このサービスの他にも旅行会社、山小屋、山岳交通機関、スキー場などに気象情報を配信しています。

- そもそも、どうして山の天気は変わりやすいのでしょう?

平地では低気圧や前線など、大気が大きく乱れるときに上昇気流が起きますが、山ではそれがなくても簡単に上昇気流が起きます。風が山にぶつかるだけで、上昇気流になって、雲ができる。そこに水蒸気があれば、雲はどんどん成長していきます。平地は広がっているので、湿った空気は一方向から入ってきますが、山は谷や尾根があって入り組んでいる分、湿った空気が入るところと入らないところがあるので。場所によって全然天気が違うこともよくありますし、麓は曇っているのに山頂は晴れているということもありますよね。

八方尾根に咲くシモツケソウ

燕山荘からの樹氷に輝く合戦尾根

- 予報を出すのも難しいのでしょうか。

山の気象予報は、コンピューターではダメで、ちゃんと気象予報士が出さないといけないんですよ。やっぱり山のことを分かっていないと難しいと思います。

- 猪熊さんが山を登るようになったのはいつごろからなんですか?

本格的に始めたのは大学で山岳部に入ってからです。それまで特にスポーツをしていたわけでもなかったので、最初の合宿はとにかく辛かったですね。荷物が40キロくらいあって、それはたいして重くはないんですけど、当時、私の体重が45キロくらいだったので…。体力もないし、山の中で生活することにも不慣れでしたから。

- なぜ、山岳部に入ったんですか?

何となく、このまま大人になったらまずいな、精神的にも肉体的にも、少しは鍛えないといけないなという気持ちがあったんです。それで入部したんですが、最初は周りに迷惑をかけるばかりでした。「今日は辞めるって言おう」って何度も思いましたよ。

- でも、思ったけど言わなかったんですね。

1日が終わるときに、「今日は何とか頑張れた、明日もう1日だけ頑張ろう」って。その繰り返しで何とか続けることができました。同期も先輩も魅力的な人が多くて、仲間にも支えられました。山岳部という組織に身を置いて、自分の居場所を得たような気持ちも生まれました。

- 体力的には、徐々に慣れていったんですか?

ずっと最初にバテるのは自分だったんですが、1年生の3月に、初めて他の人がバテて。槍ヶ岳に登ったときだったんですが、そのときは嬉しかったですね。それから2年生になって、高校時代にスポーツやっていた人やインターハイに出たことある人とかも入部してきて、「後輩に負けちゃうんじゃないか」って不安だったんですが、一緒に行ったらやっぱり1年生は全然ついて来られなくて。疲れ方も違うし、自分が1年で成長したんだなとそのときに実感しました。

- 辞めずに続けてきたことで、いつの間にか力がついた。

それからは少しずつ余裕が出てきて、今までずっと下しか見ていなかったのが、周りを見られるようになりました。そうすると景色も楽しめるようになってきました。

- それまではあまり、山を楽しむ余裕はなかったんですね。

岩登りもするようになりました。子どものころから崖登りが好きで、家の裏でよく遊んでいたので、手を使って登るのは向いていたんですね。どんどんチャレンジしてレベルを上げて行くと、行ける山も増えてどんどん楽しくなっていきました。

- 大学時代はもう、ずっと山岳部漬けみたいな感じだったんですか?

そうですね。先輩について行くだけではなく、自分で山行計画も立てたり、合宿でもリーダーになったり。でも…3年生の冬に、富士山で大けがをしてしまって、山に登れなくなってしまったんです。


富士山合宿中に突風で飛ばされて滑落、救助されたのは24時間以上経ってからでした。粉砕骨折と凍傷で、「足を切断しなかったことが奇跡」と言われるほどの大けがを負った猪熊さん。何度かの手術を乗り越え、回復には2年もかかりました。そんなアクシデントに見舞われても、猪熊さんの気持ちはまた山へ向かいます。

PROFILE
1970年、新潟県生まれ。1995年に中央大学法学部卒業後、登山専門旅行会社勤務を経て、気象予報士に。2011年、国内初の山岳気象専門会社「ヤマテン」を設立。日本テレビ「世界の果てまでイッテQ」の登山隊やNHK「グレートサミッツ」など国内外のテレビ、映画の撮影のサポートも。中央大学山岳部監督、国立登山研修所専門調査委員及び講師も務める。「山岳気象予報士で恩返し」(三五館)、「山岳気象大全」(山と渓谷社)など著書多数。

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