信州魅力発掘人 信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

外で遊ぶことの延長にあった山。楽しいから続けている

天竜川に沿って伸びる伊那谷と、木曽川が流れる木曽谷に挟まれた中央アルプス。最高峰・2956mの木曽駒ヶ岳を中心に、2700~2800mの山々が肩を並べます。氷食が著しく、鋭く尖った峰を持つ山が多いのが特徴。氷河による浸食でできた数多くのカール地形や、高山植物が素晴らしい景色を生み出しています。

「信州魅力発掘人」、6回目に登場していただくのは、「南信州山岳ガイド協会」の理事長を務める林秀也さん。日本山岳ガイド協会認定ガイド、高山植物等保護指導員など、多方面で活躍しています。林さんが山に関わるようになったきっかけや現在の活動、そして上伊那地域で取り組んでいる学校登山についても伺いました。

高校時代に友達3人で登った空木岳。楽しくてしょうがなかった

- 林さんが山と関わるようになったのはいつごろからですか?

生まれも育ちも長野県・中沢村(現・駒ヶ根市)なので、陣馬形山や戸倉山は遊び場のようなものでした。とにかく外で遊ぶのが好きな子どもでしたね。学校から帰ってきたら、畑や田んぼを手伝ってその辺りで遊ぶ。山は、その延長で行っていたようなものでした。

- 本格的な登山は?

本格的と言っていいのか分かりませんが、上伊那地域は中学2年生で西駒登山をします。私はもう、それが楽しみで楽しみで。その後、高校2年生のときには友達3人で夏休みに空木岳へ登りました。もう50年も前のことだから細かいことは忘れてしまいましたが(笑)、ものすごく楽しかったことは覚えています。山頂直下には、駒峰山岳会が管理・運営をしている「空木駒峰ヒュッテ」があってお世話になりました。朝から3人で枯木を拾って抱えて持ってきて、小屋番をやっている人たちにご飯を作ってもらったり、「お前たち、明日は南駒まで行ってこい」とか言われて4時間ほどかけて行ったり。それが初めての本格的な登山だったのかもしれません。

- その後は、ずっと登山を?

高校卒業後は名古屋で就職して、そこで「名古屋山の会」という山岳会に入りました。当時は、社会人山岳会と大学山岳会が競い合っていたような時代。雑誌にもよく山岳会員の募集が出ていました。「山の会」という名前だったので、あまり厳しくないだろうと思って入ったのですが、実際はかなりのもので。三重県の御在所岳に藤内壁(とうないへき)というロッククライミングのスポットがあるのですが、金曜日に会社が終わるとテントを背負って電車に飛び乗って、そこまで行って岩の下にテントを張っていると山岳会の先輩たちがやって来る。夜はラーメンを食べて、次の日は一日岩登りをして帰る。週末は練習をして、たまに実際に登りに行くという感じでしたね。長野も滝谷(穂高連峰)や剣岳など、有名な岩場があったのでよく行きました。岩登りは、次の手掛かりに行くのに踏ん切りが必要です。そのタイミングを判断するときの集中力。そういうところが楽しかったですね。

登ってみて、楽しかったら続ければいい

- 現在、林さんが理事を務める「南信州山岳ガイド協会」はどのような活動を?

主にガイドの申し込みを受け付けて、登録しているガイドの手配をしています。以前はツアー会社からが中心でしたが、最近は夫婦や、グループからの申し込みが増えました。

電話やメールで質問が届くので、その対応もしています。一番困るのは、「私でも行けますか?」という質問。どういう人なのか分からないので答えようがないのですが、結構多いです。まあ、全部返事はしていますが(苦笑)。

あとは、地元の学校登山のガイドもやっています。協会はもともと、中学校のガイドが出発点だったので。

- 最近の学校登山はどういう感じですか?

楽しみにしている生徒は…3分の1くらいかな。あとの3分の1は学校行事だから行くという感じで、残りは嫌々なのかもしれないですね。でも、疲れたとか嫌だとかブーブー言っても、若いから結局は登れますよ。先生はバテちゃう人もいますけど。

- (笑)。引率する先生も大変です。

今は皆、装備は整っているので、気持ちの部分が問題なのかもしれません。ときどき、事前学習の段階で学校に呼ばれて生徒の前で話すこともありますが、例えば数学が嫌いだからといって、授業を受けないわけにはいかないですよね。登山も一緒だと思います。嫌いだから、大変だからといって避けていては、何も分かりません。とりあえずやってみて、好きかどうか、向いているかどうかが分かる。楽しかった、もっとやってみたいという人はまた続けてもらえばいい。私の考えとしては、人生は楽な方へ楽な方へと逃げてばかりいると、たいした人間にならないのではないかと思います。

- 何事も経験しないと判断できないということですね。

「学校登山が嫌だった」と言う人もいますが、それでも子どもができたときに「中学生のときにあの山に登ったんだよ」と西駒を見ながら話せるのは、良いことなのではないでしょうか。生まれたときからいつもそこにあるもの、目に入るものですから。「信濃の国」を歌うのと一緒で、地元の人たちにとって共通する気持ちとして、心の隅っこのほうに何か残るのではないかと思います。


「山=登山、というイメージになりがちですが、里山や山村など含めてもっと山全体を考える機会が増えれば」と話す林さん。退職後には伐採など林業にも携わるようになったといいます。次回は山の魅力や楽しみ方、そして最近の「山ブーム」への思いなどをお聞きします。

PROFILE
1944年、長野県駒ヶ根市(旧・中沢村)生まれ。いったん就職で地元を離れるが、23歳のころにUターン。駒峰山岳会に入り、空木駒峰ヒュッテの管理・運営などを行う。2008年から南信州山岳ガイド協会の理事長に。
日本山岳ガイド協会認定ガイド、信州登山案内人登録ガイド、高山植物等保護指導員、県自然保護レンジャー。

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