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Vol98■とく☆とく信州(週刊信州2周年記念連載)

素人蕎麦打ち名人の板倉副知事による連載

お蕎麦のとっておき話(その3)

前号の『とっておき話』でも少し触れましたが、そば切り(手打ちそば)が一般に広まったのは、江戸時代からでした。
気軽にさっと食べられる「お蕎麦」は、気の早い江戸っ子の気質とも相まって流行し、江戸時代の終りには、何と4,000件近くの蕎麦屋が立ち並んでいた記録も残されています。

<そばの歴史3>そばつゆ
さて、この頃の「そばつゆ」のお話しをします。


普段、私たちが口にする「そばつゆ」は、鰹節を基本とした「だし」に、濃口醤油、砂糖、味醂(みりん)を使ったもので、これは江戸時代の文化文政時代(1804~1830年)にできあがったとされています。
でも、その当時の醤油は高級品で、特に地方や農山村では簡単に手に入るものではありませんでした。では、何を材料に使っていたのでしょうか。
それは「味噌」です。


味噌が「そばつゆ」の材料に

古くからそれぞれの地域で作られていた「味噌」を使って、「だし」や大根の搾り汁を加えたものを「そばつゆ」にしていたのです。
享和2年(1802年)刊の「料理早指南」は、山村での料理の記録ですが、ここには、熱い灰の中に入れておいた木曽大根をおろして布ごしし、焼き味噌を混ぜたことが書かれています。
この汁の作り方は、現在も木曽地方で受け継がれていますし、小谷村では、「味噌だれ」が作られていたり、県内の千曲市や坂城町を中心に辛味大根の絞り汁と合わせた「おしぼり」と呼ばれる食べ方もあります。
どうやら、そば切りが普及しはじめた江戸初期から200年近くの間、つゆは味噌だれ(味噌に水や湯を加えて汁を絞ったもの)が中心で、これにパンチを効かせるため辛味大根を加えたようです。

ねずみ大根(坂城町)

ねずみの尻尾を連想させる
細長い根が特徴
親田辛味大根(下條村)

蕪のような形で大根特有の
甘味も残している



辛味大根を搾った辛い汁を真田汁と呼んで江戸で流行したとの記述もあります。
今も上田市の真田地方では辛味大根が採れます。辛い大根と味噌だれでこしらえた辛いそばつゆ、これを大根の産地(あるいは汁自体の発祥地)から真田汁と名付けたのではないでしょうか。
この辛い汁(今風におしぼりそば)が現在も残っているのは、素晴らしい事と言えるでしょう。

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