い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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地域の元気創造中! -信州みなこい里山泊覧会イーラ その2-

こんにちは!
魅力発掘探検隊(歴史・祭り・暮らし班)のIです。
この10月28日(日)に、地域発元気づくり支援金を活用し展開中の「イーラ(信州みなこい里山泊覧会)」のイベント 「飯島歴史散歩」を体験してきましたのでご報告します。


「いいずらむら」東門にて。飯島町では、いいずらむら(町文化館)と県史跡伊那県庁跡(飯島陣屋)を結ぶ遊歩道を「いなの中路(なかみち)」と名付け、歴史と文化の道として道標や歌碑を建てて整備しており、町民の皆さんに親しまれています。


講師の桃沢 匡行さん。町の郷土研究会長や文化財調査委員長をされる等、飯島の歴史研究の第一人者の方です。本業は果樹園の経営で、御尊父は梨、特に二十世紀梨の栽培法の研究と普及で全国的に有名な桃沢 匡勝さんです。今日はよろしくお願いいたします!

アララギ派の代表的歌人、島木 赤彦(諏訪出身)の歌碑。地元七久保小学校に「万葉集」の講演に訪れた際詠んだ歌とされています。
 駒ケ岳は奇しき山かも晴れし日も 己れ雲吐きて隠ろひにけり


「伊那の三女」の歌碑。三女とは三人の才女の意味で、江戸時代中期、那須野さん、河野きよ、桃沢かめの三人が、地元の西岸寺のしだれ桜(現存)の花見に誘うやりとりをした際の歌。この逸話は「信濃奇談」という書物に記されており、一般庶民には文字の読み書きも難しかった当時、女性が和歌を詠み花見を楽しんでいたという、伊那谷の庶民文化の水準の高さを示しています。

色も香も盛りと聞きし花にまた ことばの花のいろも添ふらん  さん
吹く風に散らば惜しけむ桜ばな はや来て見ませ咲きの盛りを  きよ
もろともに見てぞ嬉しきこの寺の 花のむしろにこよまどゐせん かめ


本県が誇る代表的歌人の一人で「短歌のふるさと塩尻」の中心人物、太田 水穂の歌碑。
大正8年、北原白秋とともに飯田の歌会に行くため、当時伊那電の終着駅だった高遠原から馬車に乗った際、白秋がたわむれに御者のラッパを取り上げて吹く様を詠んだ歌。
 おほわらべ我が白秋の吹きならす 喇叭はひびく高原の上に


伊那街道の問屋、本陣であった杉屋、現在の宮下家のお庭を訪問。大島 寥太(りょうた)の貴重な句碑があります。大島 寥太は当町本郷の生まれで、幼くして江戸へ出て俳諧の道をめざし雪中庵(芭蕉十哲の一人)二世桜井吏登に入門。その後三世を継承、二百冊を超える著作と門弟三千を擁し当時の俳壇に君臨、西の蕪村に対して東の寥太、といわれた人物だそうです。(桃沢先生の話では、以前新聞記事が伝えたところでは、ドイツで俳句といえば「一茶、芭蕉、寥太」とのこと) すごい人だったんですね!!
この句碑は「雪塚の句碑」と呼ばれ、初代雪中庵 服部嵐雪はじめ七人の句が刻まれています。
 苔よりも雪の花さけ塚の上  寥太

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