い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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人任せの春に【井月さんのこころ45】

井月さんのこころ シリーズ その45
 初春を迎えた井月さんの心境を詠んだ句で、井月さんの人柄を如実に表した名句があります。

  目出度さも人任せなり旅の春  井月

 以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

 新年を迎えためでたさも、人様次第。なにもかも人に頼っている旅人井月。よく次の一茶と比較される。「目出度さもちう位也おらが春」ちうくらいとは方言で、いい加減の意。中程度の意味ではない。ことさら卑下していっている。もう一句一茶、「ともかくもあなた任せの年の暮」あなたは、阿弥陀様。
 井月は新年を迎えるのも人様次第の現状を肯定。超俗的で悟っている。
  (初春・新年)

 過日、「信州の二人の放浪俳人 一茶と井月」(ほおずき書籍)の著者で俳人でもある春日愚良子(かすがぐらし)氏と親しくお話しさせていただく機会がありました。




 春日愚良子先生のこの本に「一茶の我執、井月の失意」と副題がつけられていることについては、遡回その2で紹介させていただきましたが、初春の句を比較した部分を引用させていただきます。

  目出たさも中位なりおらが春  一茶
  めでたさも人任せなり旅の春  井月

 二人の悟りには違いがある。一茶は中位という現実を見、井月には漂泊者としての諦観が底にある。一茶は泥臭い煩悩人で、その句はあまりにも人臭い。 対して井月は、自我を捨てて非人情にも近く、人間にこびりつく灰汁(あく)がすっかり抜けている(人間臭さがない)。これによる句の上での優劣はまた別問題で、異次元の話である。

 と、このあと子規や虚子や蕪村などの著名な俳人の句との比較もされておられ、井月さんの句にも遜色ない佳句が多いことが述べられています。

 井月を論じ出したら熱気ほとばしる春日愚良子先生から、「井月朗読劇場 コラージュ風狂のうたびと」と「春日愚良子句集」を恵与いただきました。 井月さんの句の奥の深さや愚良子先生の自在な句心を学ばさせていただいています。
  写真:「井月朗読劇場 コラージュ風狂のうたびと」と「春日愚良子句集」



 さて、こうした「人任せ」な内容のブログを書きながら、新年を迎えたばかりと思っていましたら、けっして「ちゅうくらい」に過ごしているつもりではありませんが、いつの間にかもう3週間も経ってしまっていますね。
 読書始め、筆初めなど、〇〇初めが一巡しました。

 公務でも6日(月)の「仕事始めの式」からスタートし、新年祝賀行事等のいくつかに出席させていただきました。
 なかでも「消防出初式」は、県知事へ出席要請があり、知事・副知事が全ての市町村に出席させていただくように本庁消防課において日程調整を図っていますが、新年早々に集中しますので77市町村を一巡にはするには相当の年数が必要であり、上伊那は既に一巡しておりますので、今年は地方事務所長が出席し、県知事の祝辞を代読することになりました。
 上伊那管内の8市町村では12日(日)に5市町村、19日(日)に3市町村が重なり、全てに所長が出席することは叶いませんので、12日は伊那市へ、19日は駒ヶ根市へ出席させていただき、他の6町村へは副所長や課長が出席させていただきました。なお、昨年の所長出席は辰野町と南箕輪村でした。
 
 19日の駒ヶ根市消防団出初式は午後2時からすずらん通りで観閲式に続き、午後2時半から駒ヶ根市文化会館で式典が開催されました。席上、消防団活動支援のために今年度から新たに創設された「長野県消防団協力事業所等知事表彰」を「トーハツマリーン株式会社」さんへ伝達させていただきました。
 消防団出初式の様子は昨日の記事をご覧ください。

 さて、初春の暮らしのなかで1月17日は、山の神様を祭る「山祇講(やまのかみこう)」の日。今年は當屋(とうや)を務めました。
 講員13名、出席は11名で、JR小野駅近くの「三河屋」さんで、床の間に掛け軸を掲げて神事の後、恒例のすき焼きを囲んで一年の山仕事などの無事を祈りました。
 祭神は大山祇命(大山津見命:オホヤマヅミノミコト)であり、狩人・木こり・杣などの山仕事をする人々が山仕事の安全を祈る祭りとして生まれ定着したものといわれています。山仕事が生活を支える大事な仕事であった山村の住民にとって、大切な年中行事の一つでありました。
 我が集落(辰野町小野休戸)で、代々の當屋によって引き継がれてきた講中連名簿によれば、「山祇講」は享和年中(1801~03年)から始まったと記録されています。井月さんが生まれる20年くらい前、従って、二百年を超える伝統があります。
 現存する最古の連名簿は嘉永三年(1850年)のもので、34名の名前が載っております。
 当時の名簿ですから姓(苗字)は記載されていません。くずし字であり、判読できない字が多いのですが、當屋は「茂三郎」。講員には、「又七」や「新左重門」という我が同姓の御先祖様と思われる名前も見当たります。
 預金を元手に當屋がその利子を取り立てて、正月17日に山仕事の安全を祈る祭りを斉行していたようであります。毎年の記録には、當屋の名前、預り金がある講員の名前と利子の取立て金額が記載されているのみであり、講中全員の名簿は嘉永3年、明治16年、明治28年と飛び飛びにしか記録されておりません。
 現在の掛け軸「山祇大尊神」を揮毫したのは「源吉通」とありますから、甲斐源氏である板垣氏の流れをくむ初代の小野村助役(明治22~23年)を務めた小野吉通翁であります。




 明治3年(1870年)に平民の苗字が許可されましたが、この講の記録に初めて「姓」付きの名前が登場するのは、明治12年で、當屋は小野吉通とあります。
 昭和15年に連名簿の表紙が改まっており、この頃からは会費制によって講が運営されるようになったようで、當屋はわが祖父の「新◇郎」。平成11年にも表紙が改まっており、當屋は父「新〇」で、表紙の字はいずれもその手によるものと思われます。


 

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