い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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南北朝の争乱と上伊那の武士たち~大草城址公園~

こんにちは。魅力発掘探検隊のJKです。

今回は中川村の「大草城址公園」に行って来ました。

 

上伊那郡の最南端に位置する中川村には、多くの桜の名所がありますが、「大草城址公園」もそのうちの一つで、春には何本ものソメイヨシノが美しい花を咲かせます。

今では、そんな桜の名所の公園ですが、「大草城址公園」と言うだけあって、城跡でもあるのです。そして、この城は14世紀「南北朝時代」の争乱の重要な舞台でもあったのです。

 

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<公園の案内看板>                               <展望台>

 

中世に中川村の大草を支配していたのは、香坂氏という一族でした。香坂氏の拠点は現在の大鹿村にある大河原城という所で、大鹿村から中川村大草のあたりまでを領していたようです。

鎌倉末期から室町初期にかけて活躍したといわれる香坂高宗は、この一族の出で、南北朝時代には南朝方として戦った武将として有名です。

 

後醍醐天皇の皇子あった宗良親王は、南朝方として各地を動き、やがて香坂高宗を頼って、大河原の地へ入りました。高宗は宗良親王を庇護し、南朝方として共に戦うことになります。その時に拠点となったのがこの「大草城」だと言われています。

 

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当時の上伊那は、天竜川西岸が北朝方に属する小笠原氏の支配地であり、天竜川東岸の段丘上に突き出た形の大草城は、南朝方の香坂氏の最前線に位置していました。また、伊那谷から大河原(大鹿村)へ小渋川に沿って入っていくとすると、その経路上に位置することにもなります。軍事的にも経済的にも重要な拠点であったようです。

 

南北朝時代の後も、この大草城は代々の香坂氏の拠点であったようで、戦国時代に武田信玄や織田信長、徳川家康などの勢力が上伊那に進出してくる中でも、一定の勢力を保っていたようです。

 

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<何本もの桜の木がありました>                 <大きな石碑が目印>

 

今では、静かな公園になっていますが、何段かの高台が並んでおり、城跡の面影が感じられるかもしれません。春には桜の名所となり賑わうようですので、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

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