じょうしょう気流 「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

じょうしょう気流

「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

上田市民なら知っている?「上田唱歌」

地域政策課のYです。

上田に上田唱歌という歌があることをご存知でしょうか。私も知らなかったのですが、「蚕都上田」の歴史的建物を探して、笠原工業(株)の「常田館」(3枚目の写真)を見学させていただいたときに、その応接室で歌詞と楽譜が印刷されたものを発見しました

上田唱歌は、明治36年(1903年)にできたものです。日露戦争の開戦の前の年で、日清戦争に勝って、富国強兵を進めてきた日本が軍事面では勢いのあった頃です。上田では、信越線が整備され、上田-長野間が明治21年(1888年)に開通、東京には明治26年(1893年)に碓氷峠を通って行けるようになりました。そんな明るい未来が開けてきた上田で、建物や商店街など町の中の様子を表したのが上田唱歌です。全部で38番まであります。
作詞は飯島茂経。八十二銀行の前身である第十九銀行の頭取も務めた人です。作曲は田口信太郎。上田中学(現在の上田高校)の音楽教師に作曲の2年前に就いた人です。

(株)東信ジャーナル社のホームページに、上田唱歌の38番までの詞の詳細な解説が掲載されています。それを見ながら、少し歌詞を見てみましょう。

1番は、上田駅が中心です。「碓氷のトンネルくぐりぬけ はしる車の音たかく 駅夫の声におどろけば ここぞ上田のステーション」。東京まで8時間かかったそうですが、新しい交通手段ができた喜びみたいなものが感じられます。

2番は、松尾町の風景。駅から海野町など中心部を結ぶ新しい道です。「汽車を下れば真直に 町幅広き松尾町 軒をならべし商店に 土地の繁華ぞ知られける」。商店や旅館などがたくさんできた町の賑わいが伝わってきます。

3番は、明治23年(1890年)にできた上田橋の話題です。「天神橋の手前より 左は松本街道の 行手に見ゆる上田橋 千曲の川にわたしたる」。上田橋ができて、駅から川を越えて南にも町ができていきます。

わが上小地方事務所に関係する詞もあります。9番「ここなる前を右にをれ 左にゆけば郡役所 ならびてたてる税務署の うらては梅花幼稚園」。今の地方事務所は、昭和17年(1942年)に国の法令により全国に設置されたものですが、その前身は、明治11年(1878年)にできた郡役所です。明治4年(1871年)の廃藩置県のあと、現在の市町村制の前身ともいえる「区町村制」ができ、それにあわせてできた県の機関です。今の上田商工会議所の近くにあったようです。また、梅花幼稚園は、今でもある幼稚園で、そのサイトを見ると、唱歌ができる3年前、明治33年(1900年)に開設されたのだそうです。

この唱歌の存在を知っている方は、周りに聞く限りあまりおられません。上田の中心市街地で生まれ育ったアラフォーをすこしだけ過ぎた当所のY課長補佐も知りませんでした。
でも、当時から町は大きく変わりましたが、先人たちが町を発展させてきたことを住民として知っておくためにも、こうした歌が昔から上田にあったということは覚えておいてほしいと、新米移住者の私ですがそう思いました。

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