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百聞は一見にしかず、百見より一行動。笑顔繋がる社会を目指して

I♥信州(あいラブしんしゅう)
百聞は一見にしかず、百見より一行動。笑顔繋がる社会を目指して(1)
「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。

第17回目のI♥信州は、2011年に東京都から小諸市に移住された小宅春樹(オヤケハルキ)さんにお話をお聞きしました。

小宅さんは現在、小諸市が進めている小諸暮らしプロジェクト「こもろはす会議」の委託を受けた「こもろはす倶楽部」で、移住希望者の方々に移住者の先輩として、いろいろな相談活動や移住者の受け入れ活動をされています。

また、福島第一原子力発電所事故の放射能被災者である子供たちの受け入れ組織「子ども信州ネット」の事務局長として活動しながら、自身も保養宿「招福亭」を運営し、夏休みなどに子供たちの受け入れを行っています。



<自分の生き方を決定付けたアメリカ同時多発テロ、消防士の道へ>

福島県郡山生まれの小宅さん、中学から親元を離れて東海地方にある全寮制の学校に進学し、高校卒業後、都内の大学に進学、大学時代は空手部で汗を流し、ご親族が経営する酒屋さんでのアルバイトに精を出す日々を送っていました。
当時、酒類販売免許の改正に伴い、多くの酒屋さんがコンビニエンスストアに様変わりする中、お店は全国の真面目な酒蔵さんより仕入れた純米酒を集めた専門店として、都内でも屈指のお店となりました。小宅さんはアルバイトをしながら、お店を一店舗任せられるほど充実した大学生活を送っていました。

小宅さん:「大学時代は親戚の酒屋さんの2階に間借りして、その酒屋さんを手伝いながら大学に通っていました。
将来は親戚の従兄弟と一緒に酒屋を盛り立てていこうかなと思っていたのですが、21歳の時に9・11(アメリカ同時多発テロ)が起きたんですよね。
僕はその時に、ニューヨークの消防士さんたちの生き様を見て、もちろん死に行くと思ってあの人たちは救助に駆けつけてはいないけれども、やっぱり自らの危険を伴いながらも救出に向かう姿を見て凄いなって思ったんです。」

多様な専門知識と特殊技術を持って火災現場、事故災害の際にいち早く現地に駆けつけ、「自らの命を賭して人を救う」消防士の仕事に正義感と使命感が芽生えた瞬間です。
小宅さんはその後、世界有数の規模と歴史がある東京消防庁を目指すことになります。

大学卒業と同時に目標を東京消防庁の消防士と定めた小宅さん。
生活の全てを憧れの消防士となるために自分自身に厳しくストイックに突き進みます。

小宅さん:「当時、僕はもう消防士になるということ以外は考えてなかったので、消防士になった時に役に立つかどうかで判断していました。地元の消防団に入って消防署の人たちと仲良くなって話を聞くと、消防士の仕事は24時間勤務で、常に出場体制を維持するため、勝手に署内からは出られない、そこで食事は自分たちで作るため、料理ができないと駄目だと教えていただきました、僕はそうなのかと単純にとらえて、料理屋さんをいろいろ回ってバイトをしました。多い時には三つかけ持ちしたり、中華以外はだいたいやりましたね。」

小宅さん:「バイト先だった銀座の洋食屋さんの料理長が小諸の野菜を取ってくれていて、今も仲良くさせてもらっています。それと都内の自転車便、メッセンジャーもやりました。山手線の環内であれば番地だけでどこか分かります。バイク便には負けませんでしたね。」


<憧れの消防士としての活動と湧き出た思い>

消防士試験を幾度か挑戦し、東京消防庁に入庁した小宅さん。
初任地では直属の隊長に厳しく指導を受けたそうです。

小宅さん:「レスキューの全国大会で日本一を経験したメンバーの一人が僕の隊長でした。消防の訓練の一つに装備を全て装着して要救助者役の隊長を暗闇から助け出すという訓練があります。全ての装備を着ると結構な(20キロ以上)重さなんですが、救助を必要としている人に苦痛を与えないように助け出すということがなかなかうまくいかなくて隊長に厳しく指導されましたね。いろいろなかけがえのない経験をしました。」

小宅さん:「消防隊は火災を消火することはみなさんご存知のことと思いますが、それ以外にも救助活動や危険排除等様々な通報があります。中でも救急隊の応援要請などにより救急現場にも出場するのですが、中には自ら命を断ってしまう方たちの所へ出場するのですよね。特にまだ若い方のケースもいくつか経験してきました。

あるケースで、若い方が早朝にやってしまい、ご親族が見つけたりするわけです。こちらは全力で心肺蘇生を試みますが、残念ながら助けることはできませんでした。自ら命を絶った若者は、もっと広い視野があったらそんな事にならなかったんじゃないかと思うし、一人で悩みを抱えたり、
いじめが多発したり、根本的に今の世の中のシステムが、当然正解ではないですよね。
持続可能な社会って良く言われますけど、持続可能な社会って言い方をする時点で今は持続不可能な社会だということを認めていると思います。」

消防士としての仕事を続けていくうちに、9・11の事件の真相やそれに伴う世界の動きや日本の食料自給率問題、エネルギー問題へと世の中の表側、裏側の世界を感じ取った小宅さん。感じた問題意識は社会システムに対する様々な疑問へと広がっていく事になります。

小宅さん:「当時僕が定年するまでにあと三十数年あったわけでして、その三十数年後に、今の社会システムが持つのかとふと疑問に思いました。このまま消防士を続けていって、あの時気づいたのに何もしなかったと後悔するよりは、何かできることをと思い立ってしまい、行動に移してしまいました。今にして思えば。辞めなくても色々出来たことあったなとも思いますが、今充実しているので後悔はないです。」


<充電期間を経て信州小諸でロハス生活実践、そして東日本大震災発生>

数多くの仲間から消防士退官を引き留められた小宅さんでしたが、一度決めた心は変わることはありませんでした。その後、しばらくの充電期間を経て学生時代から勤しんでいた空手道場の運営に関わり、子供たちへ空手の指導をしながら、礼儀や人に対する思いやりを伝えていく活動をし、そして知人の紹介で小諸市が企画する「都会と農村をつなげるプログラム」に出会ったのです。

小宅さん:「僕は結局、今の世の中の問題の根本って、自分たちさえ良ければ良いっていう心こそが、現在のシステムを生み出した根幹だと思っていて、それが少しだけでも他の人、あるいは全体に向くようにするには、年月はかかりますが子供たちの教育に答えを見出そうとしていました。そんなあるとき知人から、小諸エコビレッジの話を聞いて、小諸に来ることにしたんです。」
小宅さんの活動のひとつである「招福亭」。福島からの子ども達を受け入れています。
庭にはブランコなどの遊具も設置されていて、子ども達も笑顔に!


小諸のエコビレッジは、都内のオーガニックコットンの企業とNPO法人太陽光発電所ネットワーク、こもろはす倶楽部、という3団体で運営しています。
活動の中のひとつに、国から助成を受けた農村の移住交流事業があり、小宅さんは、半年間の研修生として2011年の2月に小諸エコビレッジにやって来ました。

小宅さんは、正式開所を向かえるまでの間、近くの山小屋で生活をしていましたが、小諸に訪れてから約一ヶ月後の2011年3月11日、日本における観測史上最大の地震「東日本大震災」が発生。生まれ育った実家、福島県郡山市の様子など心配な日々が続きました。

小宅さん:「小諸に来て一ヶ月ちょっとしたら、いきなり3.11だった訳です。
両親も東京に避難し、僕も合流するため東京に戻りました。一時は研修そのものが無くなるかと思いましが、研修は一回中断し、両親も福島に戻りましたので研修を再開しました。」
写真左・右上:小諸エコビレッジ
小宅さんが3ヶ月間生活を送った「ティピー」は、インディアンの移動式住居として使われるもの。
一般的なテントとは違い、中で火を使うことができます。


研修を再開した小宅さん、研修中に地元のこもろはす倶楽部の皆さんの活動「持続可能な社会のモデルケースとしての小諸エコビレッジ運営」に共感し、自身が小諸エコビレッジでどこまで出来るかの挑戦がスタートしました。 

小宅さん:「こもろはす倶楽部のような地元の人達は、持続可能な社会のあり方を本気で考えていると感じました。その考えにすごく共感できて、ティピー(テント)を借りて来て、自分がまず自給自足を含めてエコビレッジの中でどこまで出来るか挑戦してみようと。ここにこれまた地元の方に協力いただき125wの太陽光のパネルをお借りしてきて、太陽光発電によりティピーの中で電気が使えるんです。わき水を汲んで来て…みたいなことを3ヶ月位やっておりました。」

小諸エコビレッジ内でのロハスなティピー生活は地元小諸で話題となり、遠くは神奈川県から話を聞きつけ、宿泊体験された方もいたそうです。
東日本大震災の経験とティピー生活を通して「食料」「エネルギー」「お金の仕組み」についてより深く考えるようになった小宅さん。中でも「エネルギー」については原発事故の状況から小宅さん自身が抱えていた問題意識にずれが無いことを確信されたのです。

次回、後編では小宅さんが現在活動されている「こもろはす倶楽部」の活動の様子などをご紹介します。お楽しみに。

【インタビュー時期:2013年10月】

■小宅さんが移住された小諸市

長野県の東部に位置する小諸市。浅間山の南山麓に広がる高原都市です。
かつて小諸藩の城下町として栄えた市内には、小諸城の名残である小諸城址懐古園など、歴史的な遺産が数多く残っています。
浅間山の麓に広がる城下町・小諸市



●長野県では、東京・有楽町の東京観光情報センター内に「長野県移住・交流センター」を開設し、県内各市町村とも協力しながら移住に関する取り組みに力を入れています。
また、名古屋・栄、大阪・梅田の各観光情報センターに「移住・交流サポートデスク」を開設し、中京圏や関西圏からの移住をサポートをしています。
信州への移住に関心のある方はお気軽にご来場ください。

また、移住に関するセミナーや相談会、体験ツアーなどが長野県内各地域で行われています。
移住に興味を持たれている方や信州を知りたい方など多くの皆様のご参加をお待ちしております。

信州へ移住を考える人のポータルサイト
田舎暮らし 楽園信州 http://www.rakuen-shinsyu.jp/

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